離れから庭に突き出すように作られた6畳の離れ座敷「莎香亭」。
雪見障子は、引き違いで左右に開きます。円窓のように見せかけた棚も楽しい。
小さな濡れ縁の下に置かれた水盤に月を映して楽しんだとか。
小さな出入り口の奥には2畳足らずの
「無尽蔵」。
「無尽蔵」には造り付けの小さな机や棚があり、梅の絵が描かれています。春挙はこの小さな空間で画想を練ったといわれています。
約20畳大の画室と6畳の図書室(右手)。後に記恩寺が開山され、画室は本堂、図書室は春挙の描いた釈尊像を本尊とする祭壇としても使われています。
絵は春挙の初期の代表作「法塵一掃」の下絵。晩年の大作、福岡県の四季を描いた屏風(昭和天皇即位式典のための作品)もこの画室で制作されました。
コーナーを有効利用する回転式の絵の具棚。大正時代らしい趣向の収納です。
和風建築の外観を崩さず、暖炉を備えた見事な洋室。
天井、床、家具、照明器具など全て当時のまま。
壁のみ布クロスを復元印刷した壁紙が張られています。
奥左手が画室へのドア。
美しい天井の白い部分は漆喰。仕上げた当時のままです。
竹の間の円窓から廊下と無尽蔵を見る。
別棟の茶室。記恩堂も含め茶室は数箇所あり。
記恩堂への渡り廊下。途中の庭も必見。
山元春挙は明治4年に滋賀県大津市に生まれ、京都に出て絵の道に進み、明治・大正・昭和にかけて竹内栖鳳(たけうちせいほう)と京都画壇の両雄と並び称されました。功なり名を遂げて生地に別荘を建て、有名・無名を問わず人を招き、美しい建物、美しい庭をともに愛でる心楽しい時間を過ごしました。自ら設計図を描くほど別荘作りを楽しみ、思いのままの空間を作り上げたといえるでしょう。
昭和8年(1933年)62才にて死去。
平成6年に建物と庭を含めて国の重要文化財に指定。
「天開画図楼」の額の前に立つ春挙の孫、現当主の山元寛昭さん。案内、説明をして頂きました。
和風住宅の例「蘆花浅水荘」の訪問記はいかがでしたでしょうか。
明治と昭和にはさまれて忘れられがちな大正時代ですが、近代化を成し遂げて景気もよく、大正モダニズムの華やかな時代を反映して、この芸術家の別荘は余裕を楽しむ喜びに包まれているように感じられました。
さて、次回も伝統的な和風住宅を訪ねる予定です。
(2012.09.12更新)