ABCハウジング このまちのストーリー

千里ニュータウン(大阪府 吹田市・豊中市)

第2章
狩猟の山であった千里丘陵

千里丘陵は広大に広がる険しい山林で、平安時代から狩猟の山であったと言われているように、長らく人が住み着く気配はなかったそうです。そこに初めて人が分け入ったのは江戸時代、現在の上新田周辺に33人が入植。のちに古江台に9人が住み着いたと伝えられています。

「昔、山田村(現在の山田)に住んでいた人が外山(裏山・現在の千里ニュータウン)を開拓して田畑にしようと呼びかけたところ、33人が集まったそうです。そこでまず、『田畑をつくるには水がいる』、『水を貯めるためには池がいる』となって池を作ったのですね。千里ニュータウンには今でもそれらの池が残っています。藤白台に鉄砲水対策としてつくられた調整池(現在の「ピアノ池」)がありますが、それ以外のほとんどは昔の人たちが手で作ったものです。だから、千里丘陵には歴史や伝統は乏しく、歴史的な遺産といえば、古江台に残っている稲荷神社ぐらいでしょうか。そこには、龍の伝説が残っています。

当時、住人は常に水不足に悩まされていましたから、水に対する思い入れが大きかったのでしょう。ある時、ひどい夕立が昼過ぎから降ってきた。その夕立の最中にゴォーっと凄まじい音をたてて池の主の龍が雨をつたいながら天に登っていったそうです。古江稲荷の側に青谷池というのがあるのですが、おそらくそこから蒸気が舞い上がったのかもしれませんね」。

開発以前の千里丘陵 (航空写真)

開発以前。現在で言うと千里南公園付近から竹見台方面の方向

上新田から山田方面に走るボンネットバス 弘済院前(現・古江台6丁目)写真協力:山田東在住 野口昭雄氏

写真出所:「千里ニュータウンの建設」発行:大阪府/新聞「千里」発行:(財)大阪府千里センター

千里ニュータウン唯一の歴史遺産とも言える古江稲荷神社

龍の伝説が残る古江稲荷神社前にある青谷池

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